Olivet Assembly Japan

ディボーション

2026年05月18日

[ローマ書コラムシリーズ] 大帝国の中心で叫ぶ獅子のごとき声:「私は福音を恥としません」

日本オリベットアッセンブリーの神学的洞察とともに味わうローマ書講解。巨大な世の力に萎縮した魂を目覚めさせる使徒パウロの大胆な告白と、「義人は信仰によって生きる」という救いの約束を伝えます。

風に乗って飛んできた一粒の小さな種が、痩せた岩の裂け目に根を下ろし、やがて大きな木となって、多くの鳥に安息の場を与える光景を見たことがあるでしょうか。神の国は、このように神秘的でありながら、力強い広がりを持っています。二千年前、エルサレムの狭い路地から始まった福音の働きは、人間の計算では到底測り知ることのできない道筋を通って、当時の世界の中心であったローマにまで流れ込んでいきました。誰がその種を最初に蒔いたのか、誰がその道を備えたのか、そのすべてを知ることはできませんが、福音は大いなる海流のように、止まることなく進んでいきました。表面の波は風によって揺れ動くように見えても、深層の大いなる海流は、定められた方向へと力強く流れていくものです。今日、私たちはローマに向かう熱い慕いと謙遜な告白が込められた使徒パウロの手紙を通して、福音に向き合うキリスト者の最も美しい姿勢である「負うている者」としての心を見つめることになります。

はかない帝国の栄光と、土の器に納められた朽ちることのない宝

17世紀オランダの巨匠レンブラントが描いた《獄中の使徒パウロ》を思い起こしてみます。暗く陰鬱な牢獄の中で、老いて疲れ果てたパウロの姿は、世の目から見れば、まさに「万物のかす」のようです。しかしレンブラントは、パウロの顔に射す、言葉に尽くせない栄光の光を見逃しませんでした。当時のローマのキリスト者たちは、帝国のまばゆい栄華の前で、自分たちを「かす」のように感じていたことでしょう。知識人や権力者たちの嘲りの中で、からし種よりも小さな自分たちの存在に萎縮していた彼らに、パウロは逆説の真理を宣べ伝えます。神は、世の愚かな者を選んで知恵ある者を恥じ入らせ、弱い者を通して強い者を打ち砕こうとされるという深い霊的な真理です。

私たちの人生もまた、ローマ帝国にも劣らないほど圧倒的な世の権勢の下に置かれています。物質の豊かさと先端技術の華やかさの中で、福音を携えて生きるキリスト者の姿は、ときにみすぼらしく見えるかもしれません。しかし、オリベットアッセンブリーが伝える望みは、目に見える外見の大きさにあるのではありません。土の器のような私たちのうちに納められた宝、すなわち救いをもたらす神の力が、私たちを恐れることなく大胆に歩む者へと導きます。世の栄光はやがて崩れた残骸となりますが、十字架のことばは永遠のいのちの道となって、私たちを支えます。この聖なる誇りを回復するとき、私たちは初めて、世の力に打ち勝つ者として新しくされるのです。

律法の呪いを断ち切る贖いの恵み、神の小羊

福音は、人類が直面している絶体絶命の危機、すなわち「罪」という死の陰からの脱出口です。パウロは、人間の力によっては決して義に至ることはできないと、断固として宣言します。罪を犯せば罰を受けなければならないという律法の呪いの下で、人間はもがけばもがくほど締めつけられる罠にかかった獣のようでした。その時に現れた神の「義」こそ、イエス・キリストです。聖書を深く思い巡らすとき、私たちは漢字の「義」という文字の成り立ちの中にも、犠牲の奥義を見いだすかのようです。「我」という字の上に「羊」が覆いかぶさるように、私の代わりに神の小羊が傷つき、血を流すことによって私が義とされる。この贖いの愛は、人間の理性を超える圧倒的な恵みです。

古くから教会で歌い継がれてきた「神の小羊(アニュス・デイ)」の賛美は、私たちの罪を代わりに負って行かれたキリストのへりくだりを歌い上げています。福音は冷たい宗教的な理論ではなく、私たちの胸の奥を流れる熱い涙です。神が一方的に与えてくださったこのあわれみの賜物を、私たちは「信仰」という手で受け取るだけでよいのです。自分の行いや功績ではなく、神の全き主権による贖いのみわざを信頼すること。それこそがオリベットアッセンブリーが大切にしている福音の核心です。律法の時代を越えて恵みの時代へと進んでいくこの驚くべき旅路は、十字架という究極の愛の啓示を通して、初めて完成されます。

崩れゆく世の中で花開く、信仰による永遠のいのち

「義人は信仰によって生きる。」この一文は、ローマ書の心臓部であり、宗教改革の火蓋を切ったたいまつでした。この告白は、かつて預言者ハバククが、バビロン帝国の侵略という絶望的な状況の中で、見張り所に立って受け取った神からの答えでもありました。世がすべて滅びるかのように見え、さばきの陰が全地を覆うとしても、神を信頼する者は決して滅びないという約束です。パウロはこの預言を、ローマの信徒たちに改めて語り聞かせます。帝国が崩れ、歴史の波が激しく揺れ動いても、福音の力によって救われた魂は、神の御手の中で永遠に安全であるという確かな保証です。

今日、私たちはなお混沌と不安の時代を生きています。しかし、歴史の行き着く先は、神の国にほかなりません。たとえその歩みの中で一時的な困難があるとしても、救いの海流は止まることなく、永遠へと流れていきます。オリベットアッセンブリーは、このいのちの福音を恥とせず、地の果てにまで宣べ伝える使命を担い続けています。キリストの凱旋の行列に加えられた皆様、世の嘲りや圧迫に萎縮しないでください。私たちに与えられたこの恵みは、無償で与えられる神の賜物であり、決して取り消されることのない天からの保証です。

永遠の約束を心に刻んで歩む希望の道

最後に、私たちは自らに問いかけてみます。「私は今、福音を誇りとしているだろうか。それとも知らず知らずのうちに恥としているだろうか。」使徒パウロの声は、二千年の時を越えて、今日の私たちに変わらぬ問いかけとして迫ってきます。福音は、信じるすべての人に救いをもたらす神の力です。この力を味わった人は、世のどのような華やかさの前でも卑屈になることはありません。むしろ、死の陰の下にいる人々に向かってキリストのあわれみの心を抱き、彼らをいのちの道へと導く、真に自由な者となります。

オリベットアッセンブリーとともに歩むこの信仰の道は、決して孤独なものではありません。主ご自身が私たちの罪の重荷を負われ、律法の呪いから私たちを贖い出してくださったので、私たちは今、永遠のいのちの確信をもって堂々と歩むことができます。世が変わり、万物が揺り動かされても、変わることのない神の愛を固く握りしめてください。ハバククに語られたように、この約束をあなたの心の板にはっきりと刻んでください。「義人はその信仰によって生きる!」この約束のみことばが、あなたの人生を支える永遠の原動力となり、そしてあなたを通して、この福音の輝きが全世界へと広く満ちるように心より願います。

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