2026年06月22日
日本オリベットアッセンブリーと共にみことばの深みを味わうローマ書講解。神を心に留めようとしない不敬虔がもたらした同性愛と二十一の罪悪の本質を考察し、永遠の死刑宣告の前に置かれた魂を救う、神の独り子イエス・キリストの福音と聖霊のいのち、その力を宣べ伝えます。
聖書本文 ローマ人への手紙1章27~32節
『同じように男たちも、女との自然な関係を捨てて、男同士で情欲に燃えました。男が男と恥ずべきことを行い、その誤りに対する当然の報いをその身に受けています。
また、彼らは神を知ることに価値を認めなかったので、神は彼らを無価値な思いに引き渡されました。それで彼らは、してはならないことを行っているのです。
彼らは、あらゆる不義、悪、貪欲、悪意に満ち、ねたみ、殺意、争い、欺き、悪巧みにまみれています。また彼らは陰口を言い、
人を中傷し、神を憎み、人を侮り、高ぶり、大言壮語し、悪事を企み、親に逆らい、
浅はかで、不誠実で、情け知らずで、無慈悲です。
彼らは、そのような行いをする者たちが死に値するという神の定めを知りながら、自らそれを行っているだけでなく、それを行う者たちに同意もしているのです。』
(聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会)
神殿の崩壊と、大阪の温泉に隠された秘密
古代の建築家たちが心血を注いで築き上げた大聖殿の壮麗な屋根は、一見すると永遠に崩れることがないように思えます。しかし、その巨大な構造物を支える中心の柱が一本でも折れれば、四方の壁や天井はたちまち轟音を立て、ドミノ倒しのように無残に崩れ落ちてしまいます。私たちの生活や魂の構造も、これと同じです。人間存在を支える最も根本的な柱である「神との垂直な関係」が断たれてしまうと、人間性は失われ、必然的に倫理的・道徳的な崩壊が引き起こされるのです。不敬虔さは必ず新たな偶像礼拝を生み出し、ついには不義と汚れによって生活を破滅へと追いやります。かつての大帝国ローマが辿った悲劇がそうであったように、神を退けた現代の姿もまさに同じと言えるでしょう。魂の空白を汚れた欲望で満たそうとすればするほど、人は海水を飲んで喉を潤そうとする旅人のように、さらなる霊的な渇きと苦痛の淵へと沈んでいくのです。
使徒パウロは、罪悪が極みに達した際に現れる最も破壊的な現象として、自然の秩序に反する同性愛を指摘しています。創造主がデザインされた男女の固有のアイデンティティを人為的に壊すことは、全宇宙の美しい秩序を根底から打ち砕く恐るべき罪です。神学的な視座から世界を見渡せば、すべての万物には固有の摂理が組み込まれていることがわかります。以前、大阪にある古い温泉を訪れた際、毎週男湯と女湯を入れ替えているという興味深い話を聞きました。どれほど洗剤で念入りに浴場を洗い流しても、男女それぞれに固有の匂いは完全に消せないので、定期的に浴場を入れ替えることで、性別特有の痕跡を自然に相殺しているのだと、ご主人は説明してくれました。このささやかなエピソードでさえ、神が創造された男女の世界が、どれほど不可逆的で固有の秩序の上に成り立っているかを雄弁に物語っています。私たちオリベットアッセンブリーは、まさにこの創造の本質を心に留めたいと願っています。今日、多くの人々がホルモンや個人の衝動を口実に自らの性的指向を正当化しようとしていますが、性的堕落の波に呑まれ、情欲の奴隷へと転落した瞬間、かつてのローマ帝国を蝕んだ性病の蔓延や皇帝たちの堕落のように、魂と肉体は音もなく、しかし急激な報いを受けることになるのです。
失われた心に刻まれた、21の闇の自画像
人間のあらゆる愛や情熱が、聖なる神のアガペー(無償の愛)という霊的な土台の上に築かれていないとき、人間のエロス(情愛)は本来の軌道を外れ、破壊的な放縦へと突き進んでしまいます。使徒パウロが『ローマ人への手紙』1章の後半で容赦なく列挙する罪のリストは、目にするたびに私たちの魂を震え上がらせます。不義、悪、貪欲、悪意、ねたみ、殺人、争い、欺き、悪だくみ、陰口、そしり、神を憎むこと、高慢、大言壮語、悪事を企むこと、親への反逆、無知、不誠実(約束を破ること)、無情、無慈悲に至るまで——。神を心に留めようとしない、堕落した人間の心から生み出されるこれら21の罪の結実は、実に悲惨としか言いようがありません。
神の真理の御前で、深い聖書の黙想を通してこの罪のリストに向き合うとき、私たちは他者の生き方を裁く前に、まず自分自身の内面を鋭く、そして正直に見つめ直さなければなりません。真理の光が闇を照らし出してこそ、内に潜む罪は初めて退けられるからです。堕落した人間は、神を求める魂の叫びを巧妙に抑え込み、自分自身を欺くという不誠実な罪を犯しています。現代文明は「神がいなくても、いくらでも高尚で美しい世界を築ける」と豪語しますが、それは人間の傲慢な錯覚に過ぎません。神なきユートピアを夢見た無神論的終末論である共産主義が悲惨な失敗に終わったように、蜃気楼のごとき人間のあらゆる制度は、結局のところ涙と苦しみだけを残して崩れ去ることを歴史が証明しています。私たちオリベットアッセンブリーが宣べ伝える真理の核心は、「人間の力ではこの絡み合った糸を決して解くことはできず、神との関係が回復されて初めて、社会と世界が根本から変えられる」という福音の力にあります。
燃え盛る裁きの座の前で宣告される、死刑の重み
使徒パウロの書簡を貫く鮮烈な神学的洞察は、罪の過酷な終着点に向かって容赦なく切り込んでいきます。これらの「してはならないこと」を行う罪人たちに対する、神の公義なる判決は、断固たる「死」です。罪の報酬は永遠の死であり、最終的な裁きであり、決して消えることのない燃え盛る地獄での永遠の刑罰なのです。多くの現代人は「自分の人生なのだから放っておいてほしい」とうそぶきながら放縦にふけっています。しかし、『ヘブル人への手紙』の厳粛な宣言にある通り、人間には一度死ぬことと、その後に裁きを受けることが定められています。この地上での肉の生涯を終えたとき、私たちは必ず創造主の御前に立ち、自らの人生のすべての歩みを清算しなければならないという厳格な現実に直面することになるのです。
大雪で山の食べ物が尽き、生き延びるために田舎の民家の庭先へと大人しく降りてきた、鹿と猪の記事を思い出します。死の入り口で道を失い、さまよう人間の魂の悲惨さも、この哀れな獣たちと何ら変わりません。人間には自らを救う術がなく、絶望の陰でうめくしかない脆く弱い存在なのです。聖霊の清々しい風と、神の陽光のような恵みが注がれない魂は、死骸に満ちた場所のように、ただなす術もなく腐敗し、朽ち果てていくほかありません。私たちオリベットアッセンブリーは、絶望的な死の宣告の下でうめく哀れな魂たちに「真のいのちの道」を示すため、この御言葉を世に向けて力強く宣べ伝えているのです。
東の猛禽がもたらすエゼキエルの谷の息吹
死体のあるところに裁きの軍勢を象徴する猛禽(鷲)が集まるように、神の真理を捨て去った歴史の背後には、常に虐殺と死の血なまぐさい匂いが漂っていました。しかし、預言者イザヤが語った神の大いなるご計画の中には、もう一つの「鷲」が登場します。「わたしは東から猛禽を呼び、遠い国から、わたしの計画を成し遂げる人を呼ぶ」という聖書の言葉の実体は、まさに罪と死の力を打ち砕くために来られたイエス・キリストなのです。キリストは滅びをもたらす鷲ではなく、私たちに永遠のいのちを与えてくださる天の鷲です。道であり、真理であり、いのちである方ご自身が、この地の闇と無秩序を拭い去るため、自ら肉体をとって私たちの間に来られたのです。
深い聖書の黙想と説教を通して私たちが宣べ伝えるべき福音の核心は、まさにここにあります。干からびた骨に満ちたエゼキエルの谷に神の御言葉が語られたとき、四方から聖霊の風が吹き込み、彼らが生気を取り戻して大いなる軍勢となったように、今日の私たちもまた、力を尽くして福音の御言葉を叫び伝えなければなりません。日本オリベットアッセンブリーは、この美しいいのちの御業が全地に広がることを、涙をもって祈り求めています。「わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがない」と言われた主の約束だけが、地獄へと向かう哀れな魂を救い出す唯一の命綱なのです。獅子と小羊が共に伏す回復されたエデンの世界、狼が小羊と共に宿る平和の御国は、主を知る知識が海を覆う水のように満ちあふれるときにこそ到来します。今こそ、失われた心を砕き、ただ主の恵みの御前へと立ち返りましょう。そして、永遠に主を賛美し礼拝する「聖なるいのちの大軍勢」として、堂々と立ち上がる皆様を、主の御名によって祝福いたします。
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