2026年06月06日
日本オリベットアッセンブリーがお届けするローマ書コラム。宇宙の秩序や私たちの内にある良心を通して示される創造主の存在を覚え、現代社会の虚無感から、神の無条件の恵みと福音へと立ち返る道を探ります。
巨大な時計仕掛けの宇宙、沈黙のなかに響き渡る創造の知性
夜空に広がる天の川を見上げるとき、あるいは顕微鏡で花びらの細胞を観察するとき、私たちがそこに目にするのは圧倒的な秩序と調和です。古代ギリシアの人々はこの宇宙を「コスモス(精緻な秩序)」と呼びました。幾万もの歯車が狂いなく噛み合って動く時計のように、この世界の万物はそれぞれの目的をもって精密に運行されています。使徒パウロは、ローマの教会へ宛てた手紙の中で、この世界の神秘を次のように表現しました。「神の、目に見えない性質、すなわち神の永遠の力と神性は、世界が創造されたときから被造物を通して知られ、はっきりと認められるので、彼らに弁解の余地はありません。(ローマ人への手紙1章20節)」
私たちが冷静に世界を観察するとき、この宇宙が何の設計図もなしに、偶然の組み合わせだけで誕生したと考えるのは非常に困難です。小さな建築物にも設計者の意図があるように、この壮大な被造世界には、宇宙を造られた創造主の知恵が宿っています。詩篇の著者が「昼は昼へ話を伝え、夜は夜へ知識を示す。話しもせず語りもせずその声も聞こえない。しかしその光芒は全地にそのことばは世界の果てまで届いた。神は天に太陽のために幕屋を設けられた。(詩篇19篇2~4節)」と歌ったように、万物は声なき声を通して神の存在を私たちに伝えています。オリベットアッセンブリーでも「はじめに神が天と地を創造された(創世記1章1節)」という聖書の冒頭の宣言を大切にしていますが、聖書を学べば学ぶほど、私たちは創造主の存在とその御力に気付かされるのです。
本能という導き、私たちの内にある道徳律
視点を宇宙から人間の内面へと移しても、そこには神の刻印を見ることができます。ある自然ドキュメンタリーで、砂浜で孵化したばかりの子ガメたちの姿を見たことがあります。卵からかえったばかりの小さな命は、誰に教わるでもなく、天敵の脅威を避けながら一斉に海へと向かって走り出します。そして成長すると、数万キロの旅を経て、自分が生まれた故郷の浜辺に正確に戻って産卵します。このような驚くべき命の導きを、いったい誰が植えつけたのでしょうか。
哲学者のカントは、人間の心に畏敬の念を抱かせるものが二つあるとすれば、それは「頭上に輝く星空」と「内なる道徳律(良心)」であると語りました。動物に精巧な本能が備わっているように、人間には固有の理性と良心が与えられています。絶望的な危機に直面したとき、人が思わず天に向かって「神様」と叫ぶのは、人間の魂の最も深い部分にある純粋な声の表れではないでしょうか。
私たちは、自然界を観察して初めて神を論理的に導き出すわけではありません。「神はすでに私の内におられたのに、私は神を外に探し求めていた」というアウグスティヌスの告白があるように、私たちの魂の奥底には、造り主を慕う思いがすでに備わっているのです。
感謝を忘れた現代社会の歩み
しかし、人間はしばしば、その創造主の存在から目を背けてしまいます。使徒パウロは、人間の罪の本質を、単なる道徳的な過ちの前に、霊的な関係の喪失として指摘しています。「彼らは神を知っていながら、神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その鈍い心は暗くなったのです。(ローマ人への手紙 1章21節)」神に栄光を帰すことを忘れ、与えられているすべてのことへの感謝を失った状態こそが、聖書の語る「罪」の本質です。水や空気のありがたさを普段意識しないように、人間は神の恵みの中に生かされていながら、その存在を忘れてしまいがちです。
現代は「人間は自立し、宗教はもはや必要ない」と語られがちな時代です。神の主権を重荷に感じ、自分の力だけで人生を切り開こうとする歩みは、一見自由に見えます。しかし、神から離れたその先にあるのは、孤独や心の虚無感ではないでしょうか。現代文明という大きなキャンバスには、どこか満たされない人間の心の乾きがそのまま映し出されているように見えます。
ただ恵みによって与えられる十字架の福音
人間は、人生の壁や死といった絶対的な限界の前に立つとき、初めて自分の弱さを知り、謙虚になります。しかし、キリストの十字架が示す福音は、人間の立派な行いや資格を条件とするものではありません。福音とは、自分の弱さや罪深さに直面した者たちに、神から一方的に与えられる無条件の恵みです。漢字の「義」という文字が、「我(わたし)」の上に「羊」を載せて成り立っているように、私たち自身の欠けや罪を、神の「小羊」であるキリストが完全に覆い隠してくださる。それこそが十字架の救いなのです。
「息あるものはみな、主をほめたたえよ。(詩篇160篇6節)」被造物である私たちが生きる本来の目的は、創造主を覚え、感謝を捧げることにあります。オリベットアッセンブリーは、現代を生きる私たちが、日々の生活の中で神の愛に気づき、初めの感謝を取り戻すことを願っています。
理屈による弁解を置いて、広大な宇宙の星々や、自分の内にある良心の声に静かに耳を澄ませてみませんか。「正しい人はその信仰によって生きる(ハバクク書2章4節)」という聖書の約束が、混沌とした時代を生きる私たちの確かな希望となり、恵みの光が多くの人の心を照らすことを切に祈ります。
日本オリベットアッセンブリーと共にみことばの深みを味わう、ローマ人への手紙2章6–11節の講解。宗教的...
日本オリベットアッセンブリーと共にみことばの深みを味わうローマ人への手紙2章4〜5節の講解。神の慈愛...
日本オリベットアッセンブリーと共にみことばの深みを味わう、ローマ書2章講解。他者を裁きながらも同じ...
日本オリベットアッセンブリーと共にみことばの深みを味わうローマ書講解。神を心に留めようとしない不...
日本オリベットアッセンブリーと共にみことばの深みを味わうローマ書講解コラム。神を見失った現代文明...